「東アジア反日武装戦線」の1人である桐島聡容疑者が死亡したと報じられた。桐島聡容疑者は指名手配されていたが、入院した病院で病死している。
桐島聡容疑者が末期がんで病死
2024年1月29日、神奈川県鎌倉市の病院で、桐島聡容疑者が死亡した。25日に、最期は本名で迎えたいと言い、自身が桐島聡だと病院関係者に明かしている。死因は病死で、末期がんだ。
桐島聡容疑者は、1975年に起こった爆破事件に関与しているとみられて、指名手配されていた。
潜伏生活はおよそ50年だ。桐島聡容疑者の知人は、「うっちー」と呼ばれて皆と仲が良かったことや、音楽が好きな良いおじさんだったことを話している。
桐島聡容疑者は、「内田洋」と名乗り、工務店で働いていたことも判明した。
職があり友人もいて「勝ち逃げ」の声も?
桐島聡容疑者は1月中旬に自宅付近で倒れて、病院に運ばれた。その後、死亡している。
指名手配されているのは、所属していたグループが連続企業爆破事件を起こしたためだ。三菱重工ビル爆破事件では、8人が死亡し、380人が重軽傷を負っている。
被害者の家族は、「長く生きて事実を話し、罪を償ってもらいたかった」と話した。
公開された桐島聡容疑者の顔は、優しそうなおじさんにしか見えない。視聴者は、「勝ち逃げ」「幸せそうな笑顔」とコメントしている。
指名手配犯だが、職はあり、友人もいたのだ。一見良い人生に見える。しかし、保険証は作れないので、病気になってもなかなか病院に行けないのだ。病気になり、苦しんだ期間は長かったはずである。
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