おしゃれで都会的なラブコメでありながら、先が読めない展開で視聴者をハラハラさせ続ける『大豆田とわ子と三人の元夫』(フジテレビ系)。
本稿は毎回が初公開となるエンディング曲「Presence」シリーズをレビューする短期連載ということで、長らくテレビドラマに関心がなかった筆者も毎週チェックし続けていた。
気がつけば次回でついに最終話。今では毎週火曜の夜が待ち遠しくなってしまい、ふと思い出したドラマのシーンをスマホで見返すほどになってしまったので、早くも「まめ夫ロス」すら感じ始めている。とわ子たちが今後どんな会話をして、どんな人生を送るのか、ずっと見ていたい……いや、別れの切なさを吟味し、パラレルワールドのような彼女たちの人生に想いを馳せてこそ、このドラマを愛したことになるのかもしれない。
そんなドラマのテーマ性が浮き彫りとなった9話。今回も最新話までの内容を振り返りながら、エンディングを飾った「Presence IV feat. Daichi Yamamoto, 松田龍平」のセカンドヴァースを振り返ろう。
KID FRESINO/BIM/NENE/Daichi Yamamoto/T-Pablow、それぞれにブランドを確立したラッパーが、ドラマに沿ったラップをする「Presence」シリーズ。その中でも、このⅣがもっとも軽やかだ。
Daichi Yamamotoの柔らかなフロウと落ち着いた声のトーンは、とてもスマートでクール。松田龍平によるラップパートもDaichi Yamamotoのラップになじんでいて、共演者同士の親和性がもっとも高いのもⅣの特筆すべき点だ。
それは両者の声の出し方が近いからだろう。
松田の肩の力が抜けた声は、劇中の八作の話し方そのもの。ミステリアスな雰囲気に、ほのかな色気が漂っている。それだけでなく松田と交流があるという5lackの人気曲「Hot Cake」をサンプリングしていたり、オフビートにラップをしたり、ラップ愛聴者も満足させる丁寧な仕上がりだ。
曲としての聴こえ方だけでなく、Daichi Yamamotoは素敵な表現で『まめ夫』を再現している。
そしてBIMやNENEのように劇中の出来事をダイレクトに取り入れた構成よりも抽象度が高く、ドラマにはない描写でドラマを想起させるリリックの組み立て方は、KID FRESINOの「Presence I」にも通じるものがある。
まず「スペードのエースが無いような/切り札のない手札で遊んでる」と始めるセカンドヴァース。スペードのエース、それはトランプの中でもっとも強いカードだ。それがないゲームとは、つまり決定打がないことを意味し、八作ととわ子が曖昧な関係を続けている状況を表現している。
しかし、Daichi Yamamotoの意図はそれだけではないかもしれない。
スペードのエースは“死”を意味する不吉なカードでもある。
例えば、あだち充の名作『タッチ』の中でも、ヒロインの浅倉南がトランプ占いをした際にスペードのエースが出た後、幼なじみの上杉和也が交通事故で亡くなってしまう。なぜタッチの話を急に挟むのか。それは9話序盤、とわ子がバッティングセンターで上機嫌に歌うのは、岩崎良美の「愛がひとりぼっち」であり、タッチの第2期オープニングテーマだからだ。
“死”がないゲーム。それは、9話終盤の八作ととわ子が閉店後の「オペレッタ」にて語り合うシーンを思い起こさせる。お互いの好意を「両思いだね」と談笑しながら確認する2人。八作が「無理なのかな」と再婚への望みを覗かせると、とわ子は「今だって、ここにいる気がするんだもん」と、復縁の可能性を否定する。
つまり、八作が想いを寄せ続けていたかごめは、死してもなお、とわ子の中では生き続けているのだ。永遠に終わらない三角関係。「3人で生きていこうよ」いうとわ子はつまり、終わらせるつもりもない。両想いだけが、幸せではないのだ。
冒頭で書いた通り、筆者はテレビドラマに疎い。なので福田フクスケ氏の記事〈『大豆田とわ子』で「かごめの死」が淡々と描かれた理由〉(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83434)を参考にさせていただくと、『まめ夫』を書いた脚本家・坂元裕二の作品には、死者の扱い方が一貫しているという。死してもなお、その人は生きている人々の中に存在し続けているのだ。
とわ子は八作との復縁を完全に否定した。それでも、もし夫婦であり続けたならどのような人生だったのかと、2人は話し始める。あったかもしれない未来の幸せな日々。今しがた否定したばかりの世界に思いを馳せ、幸せそうに2人はその夜別れた。
このシーンからは、“満たされることだけが幸せではない”というドラマのテーマが見えてくる。
だからとわ子は、第4の夫になり得た小鳥遊を見送った。このドラマのテーマ性をDaichi Yamamotoは「僕があの時/君があの時/そんな後悔が壊したラブストーリー/Ay what’s a paradise/2人の差はもう埋まらないかも/でも交わる日は受け入れたい」と表現している。
続く「勝ち負けのないマラソン」とは「切り札のない手札で遊んでる」の言い換えだろう。この2つに共通する、終わりがないという考えは、小鳥遊が7話でとわ子に語った言葉を思わせる。「幸せな結末も悲しい結末もやり残したこともない。あるのはその人がどういう人だったかっていうことだけです」と小鳥遊がとわ子に伝えるシーンだ。
そして、「勝ち負けのない」から推測できるものが、もうひとつ。前半のリリック「負け続けてる All night long」との対比だ。これは4話で八作が早良(石橋静河)から言われた「誰もが優位に立とうとする恋愛において、一生負けてくれる人が最高の恋人」という理屈を用いたリリックである。遠い位置にある短い対比だが、一目惚れで一方的なアプローチをしてきた早良との関係から脱し、とわ子・かごめとの競い合わない関係に着地したことを、前半と後半の時間軸で描いている。
ラスト、Daichi Yamamotoはこの曲を「誰にも決められない幸せ/抱きしめる様に見定めてく」と締める。介護と仕事に縛られていた小鳥遊。生前のかごめの言葉を負い続けているとわ子。似た者同士が互いに抱きしめ合い、別々の道を歩き始める9話のシーンを思わせる。自分の幸せを探す生き方とは、一つひとつを「抱きしめる様に見定めてく」生き方でもあるとするならば、最後のリリックは前半の「Blinded by the light 君に失明」の対比でもある。
以上、前半と後半で対比を作りながら、ドラマの趣旨を自分なりにラップで表現したDaichi Yamamoto。筆者の推論も交えているが、そこには軽やかなリズムだけでは表現されない、緻密な工夫が織り込まれていることがわかる。
さて、次回はついに最終回。順当に行けば「Presence V」はT-Pablowだ。
これまでのラッパーたちと少し異なり、一歩引いてとわ子の人生を遠くから肯定するようなリリックだった。であれば、カメオ出演として遠くからBAD HOPのメンバーたちが映るのだろうか。いや、強面な男たちが並んでしまっては、まめ夫の世界観を壊してしまう危惧もあるだろうか。
もし仮にプライズがあるならば、死してなお人は生き続けるという坂元裕二氏のメッセージをJJJなら表現できる。共演するのは、市川実日子だ。そんなパラレルワールドを楽しんで、最終回に期待を高めたい。
コメントする