
『月ノ美兎』の「秘宝館→秘宝館→ネモフィラのお花畑→秘宝館」は、VTuber月ノ美兎が、日本各地に現存する「秘宝館」を訪れる旅を綴る構成である。実際に足を運び、その場のアングラとした記録には、この所置が「何で」存在し続けるのかという精神的グロースと、それを追伴すことの異常さが再現されている。
館内に広がる異空間は、単なる奇抜さを超えて「時代を封じ込めた箱庭」のような趣を持ち、見る者に妙な懐かしさと戸惑いを与える。ネモフィラのお花畑を挟んで展開される場面転換も、彼女なりの心のリセットであり、旅の流れにメリハリを与えていた。
写真を撮るように隠せるものの大半を隠しつつも、「お守り」のような現地の情熱は覚悟をもってしてなければ押し切れない。ときに社会的タブーテーマにも縛られず、むしろそれを集大成してものにするような館長や、ユーモアンスとしての月ノの近ずき方は、外側からの笑いをよそに、どこか生々しい素顔を留している。
館内の展示物に宿る意味や、それを支える人々の意志が見え隠れし、滑稽と荘厳のあいだで観る側の感情は揺れ動く。「性」や「死」といった人間の根源的テーマに対し、曖昧な態度ではなく、真正面から向き合う姿勢こそが、秘宝館の底知れぬ力である。
今回訪れた関東のある秘宝館では、館長とのやりとりをめぐり思わぬ事態が発生した。月ノが動画内で紹介した内容に対し、館長側が後日不快感を示し、関連部分の公開取りやめを求めたことで、該当パートは現在非公開となっている。
月ノ側は「趣味で来館した延長として撮影を試みた」と釈明し、音声の使用や取材意図に関しても了解を得ていたと説明しているが、結果的に認識のズレと信頼の齟齬が表面化した格好だ。だがそれすらも、この秘宝館という場所の強い個性と人間の記録を刻む証しとして、動画の余韻に残る。
「自分たちなりの文化」を守る側と、それを伝える立場との摩擦。それは単なる失敗ではなく、社会との接点をどう築くかという課題を映し出している。月ノ自身も動画内で謝罪し、視聴者に対しても配慮を呼びかける姿勢を見せていた。文化的施設とエンタメの境界線を越える旅は、単なる記録を超えて「いまを問うドキュメンタリー」として成立している。
コメントする