オズワルド伊藤のツッコミ技術の真髄を見た!元芸人が「M-1 2021」全ネタレビュー
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「M-1グランプリ2021」公式サイトより

12月も半ばを過ぎると世間はクリスマス一色となり、街は大忙しとなる。しかしそんなムードとは一線を画す、肌寒い季節に熱い戦いが繰り広げられる場所がある。それはM-1グランプリだ!

毎年恒例となったお笑い界最大のスター発掘イベント「M-1グランプリ2021」が開催されたが、今大会は例年とは違う様相を呈していた。

決勝に選ばれたコンビは全部で9組、その中の5組が決勝戦初進出。まるでM-1グランプリの若返りを望んでいるかのように思えた。

M-1グランプリ全体の振り返りはまた別のコラムでやるとして、今回は「M-1グランプリ2021」決勝戦に進出したコンビの全ネタを、元芸人として分析しレビューしていく。

なるべく前情報を入れずにネタを見ているので、初出場のコンビなどについて知らない点が多いが、そこはご了承いただければと思う。

1組目 モグライダー「美川憲一さんは気の毒」

出てきた瞬間どっちがボケでどっちがツッコミかが一目瞭然。しかも動き、喋り方、声すらもボケとツッコミで分かれている。最近は見ただけではどちらがボケでツッコミかわからないコンビが多い。そんな中、ここまでハッキリしているコンビは希少で、かなり好感が持てる。

出囃子の音楽がなり、登場する寸前ツッコミの芝さんはまるで不良のようにズボンのポケットに手を入れていた。普通の舞台袖ではない、M-1グランプリの登場シーンでだ。

慌ててポケットから手を出したように見えたが、明らかに普段のやんちゃな素行が垣間見えた。真面目な芸人が増えている昨今、こんな不良に見える芸人はそう多くない。僕が芸人時代には良く見た光景で何とも懐かしく思えた。

そして階段を降りて、漫才特有の自己紹介。ここでもこのコンビの素晴らしさを見ることが出来た。

それは自己紹介をしている最中、ボケのともしげさんはお辞儀をしたまま一切頭を上げなかった。そして自己紹介が終わり、自分のボケのセリフを言うときに初めて頭を上げた。つまりボケがボケ以外のセリフを言わないのだ。

これだけ聞くと何が素晴らしいのかわからないかもしれないが、ボケがボケ以外のセリフを言わないというのは実は、かなり難しい。ネタ中に人を笑わす手段は2つある。それはボケとツッコミだ。たまにボケの人がアドリブでツッコミ、笑いをとるパターンがあるが僕はそれが好きではない。ボケがツッコミで笑いを取ると、ツッコミは何もやることがなくなってしまうのだ。だからボケはツッコミを浮かべる暇があったら、ボケを考えろというのが僕の考えだ。まさにそれを体現してくれているようなコンビに見えてとても嬉しかった。

いざネタが始まると美川憲一さんの「さそり座の女」をテーマにした漫才を繰り広げ、基本的には面白かったが、少しだけ残念なところがあった。それはボケのともしげさんが話を聞いている時に無言だったところと、合いの手がアドリブであったところだ。

まず無言だったところはなぜいけないかというと、大声で元気のあるキャラクターはずっと元気がなくてはならない。なので「うん」でも「そう」でもいいので、とにかく声を出させるのだ。そうすると静かになるタイミングがなくなるので、空気感がひたすら上のテンションで保つことが出来る。

さらにともしげさんのような芸人はアドリブを一切禁止しなければいけない。ボケろという意味ではなく、ただの合いの手を入れるようなシーンでもなるべくキャラクターにあったセリフを考えて、それを発したほうが本人のテンションが下がったように見えない。

それともうひとつ残念だったところは2人の声量の差を計算しきれていなかったところだ。ともしげさんのほうが圧倒的に声量が大きい。お客さんがその声量に慣れると芝さんの大声でも小さく聞こえてしまうのだ。

お客さんの笑いが起きた後はなおさらその状態になる。2人の場合、ネタ中大きな笑いが起きる、かぶせるようにともしげさんがリアクション。笑いの中、芝さんがつっこむというパターンが多かったが、もっと笑いが起きるようにするには、ネタ中に大きな笑いが起きる、少し笑いがおさまりかけたらともしげさんがぼける、また笑いがおきる、笑い4割くらいになったら芝さんがつっこむ。このパターンの方がより大きな笑いを起こせる。

僕が組んでいたコンビに近い形だったのでレビューにも力が入ってしまい、1組目からかなり長めになってしまった。

2組目 ランジャタイ「風の強い日」

見た目の奇抜さからどちらがボケなのかわからず、もしかしたら両方ボケなのかと思ってしまったが、いざネタが始まったら奇抜な髪形をしている方がツッコミで、しかも意外とベーシックなツッコミをしていた。

芸歴14年目ということで紆余曲折あってその髪型になったのだと思うが、奇抜な髪形というのは時としてその人のハードルを上げてしまう。つまりこのランジャタイのつっこみ伊藤さんは、面白い事をする人間だと思われてしまうのだ。

そう思われているのにベーシックなツッコミをするとマイナスになってしまう。無個性なツッコミを経て個性的になったとは思うが、違う個性の出し方をした方が伊藤さんには合っているように思う。多少奇抜なツッコミをしたとしても、ボケの国崎さんのパワーの前には霞んでしまうのであまり意味はない。

ネタ自体は最初から最後までファンタジー妄想漫才。話の筋なんてあってないようなもの。ボケの国崎さんがひたすら思い描いた妄想の世界を暴走気味にボケていき、それをツッコミの伊藤さんが客観的につっこんでいくという形。僕はかなり楽しく見れたのだが、審査員の皆さんは「なぜこんなネタを決勝でやる?」ぐらいの感じだった。

比較的面白いと思った僕と、高評価では無かった審査員の差は何なのかを僕なりに分析してみようと何度かネタを見返してみた。何度も見返して分かったことは、ボケというのは基本的に話の筋があり、お客さんに想像させそれを裏切ることにより笑いを産みだすもの。漫才はそれの最たるものだ。

しかしこのランジャタイのネタは、国崎さんの動きを頭で映像化するだけで、想像とは違う。つまり裏切る笑いというものは一切入っていないのだ。しかも笑わせる手段はほぼ動き。巧みな言葉のボケや、計算されたボケなど無いと言っても過言ではない。Tシャツの中に腕を入れてぴょん吉のような動きで笑わせるなど小学生でも思いつく。その辺りが厳しく評価されたポイントだったのではないだろうか。

僕は逆に小学生でもやるようなことを、大の大人がやっているというのが面白かったのだが、これは一周回ってしまった意見かもしれない。

それでもランジャタイに96点という高得点をつけた志らく師匠といつかお話してみたい。

3組目 ゆにばーす「男女の友情は成立するか」

登場してすぐ会場を盛り上げ、そしていきなりテンションを下げて本題に入るという掴みはかなり秀逸。本題に入るまでの小ボケが弱かったので、お客さんのテンションを維持できていなかった印象。

小ボケ自体もただ面白い裏切りをするのではなく、はらさんのキャラをもっと活かしたものだとさらに良かったはず。

ネタの内容はSNSで絡まれて上手く反撃できなかったら、ディベートの練習をしたいというもの。

「コロナ反対派」「コロナ賛成派」というわかりやすいフリを入れてメインとなるのは「男女の友情はありかなしか」というディベート。これは男女コンビならではのお題で、しかもそこから男女の友情は成立しないといっている川瀬さんに対し、「川瀬は私の事を女としてみてたんですねぇ」と、ゆにばーすのキャラクターを最大限に活かせる展開へと進んでいく。

掴み、ネタのフリ、流れ、展開、どれもスムーズで良かったように思うが、お客さんの反応がイマイチなところが多々あった。その原因は明確で、一つひとつのボケはイイとしても、そのボケから次のボケにいくまでの間が長く、次のボケにいくまでにテンションが落ちてしまうのだ。

しかもゆにばーすの特徴として、はらさんがひとつボケると川瀬さんが3つくらいツッコミ、またはらさんがひとつボケるという形が多い。これは丁寧で良い事なのだが、前半でお客さんにキャラ説明とネタの趣旨さえ説明できれば、後半はそこまで丁寧にやらずとも通じるのだ。

なのでゆにばーすが賞レースで点数を稼ぐためには一定リズムでボケを入れるのではなく、後半は川瀬さんのツッコミとはらさんのボケを1対1、もしくはつっこんでもはらさんがボケをやめないなど、笑いのピークを後半に持っていくようにすることだ。

それともうひとつ、ネタ中にお客さんは明らかに川瀬さんではなく、はらさんに好感を持つ。なのでツッコミで笑わせるのを重視するのではなく、後半はボケで笑わせるというのを重視すれば、さらに違ったゆにばーすが見れるはずだ。

4組目・敗者復活からハライチ「否定し合い」

見取り図やニューヨーク、アインシュタイン、金属バットなどが参加した、ある意味決勝戦より難しいと言われていた敗者復活戦を勝ち上がって登場。

芸歴15年目、ラストイヤーということもあり気合が入っているように思えたが、決勝戦のネタを見たところ、気負い過ぎて、気合が空回りしているようにも見えた。

ネタはお互いがやろうとしていることを否定し合い、同じように否定しているのに岩井さんの方がかなり怒り心頭になるというネタ。岩井さんが我を忘れて爆発的に怒り、子供のように駄々をこねる姿は今までのハライチとも、敗者復活戦のネタとも違う、新たなハライチが見られてかなり面白かった。

ただ審査員の松本さんが言っていたように、面白い割にはお客さんの反応がイマイチだった。その原因は一体なんだろか?

僕的にその理由はいくつかあると思っている。

まずひとつめ、岩井さんの怒るバリエーションが少なかった事。怒り自体は後半になるにつれてスピード感を出して、ひとこと言われただけで怒るなどの展開は作っていたが、怒る演技のバリエーションは全くと言っていいほど無かった。もしかしたら怒るという部分は、その場のアドリブの可能性もある。アドリブを何度もやられては、お客さんは飽きてしまう。怒りの部分もアドリブではなく計算でやるべきだった。例えば無言で睨みつけてみたり、子供のように泣いてみたり、沈黙→大声→沈黙→大声を短いスパンでやってみたり。そういったバリエーションを見せることが出来れば、お客さんが飽きなかったかもしれない。

そして最大の原因は、ネタが長い事だ。ほかのコンビと同じ時間なのか? と疑ってしまうほど長く感じた。ネタが長く感じた理由は明確で、メインとなる岩井さんが怒るというボケが出てきたのはネタの中盤辺りだ。

つまりそこまでボケらしいボケが無いとお客さんは「このネタは一体どんなネタなのだろう?」とひたすら探りを入れ続ける時間となる。これが長ければ長いほど、後半どれだけ面白くても空きが来てしまうのだ。賞レースのネタはどれだけ早く大笑いさせるかがポイントになってくる。

もう少し早く岩井さんが爆発していればラストイヤーを華々しく飾れたかもしれない。残念だ。

5組目 真空ジェシカ「一日市長」

初見はどちらがボケでどちらがツッコミかわからない最近多いタイプだなといった印象。登場してすぐ掴みのボケがあり、それをつっこんだ時、ツッコミで笑いを取るタイプなのかな? と思ったのだが、ネタが本題に入るとそれが一転した。

ボケの数もさることながら、一つひとつのボケのクオリティが高い。やっていることはベタな事なのだが、ありきたりではない。なんと説明したらいいのかわからないが「進化したベタ」といったところだ。レビューを書くという目線で見ていたのに、ほぼすべてのボケで笑ってしまった。

決勝に残ってもおかしくないボケだったのだが、なぜ決勝へは行けなかったか。

たぶん凄い細かい差で行けなかったように思う。

まずひとつめ。ボケの川北さんの声量が小さい。決勝へ行った三組を見てもらえばわかるのだが、声量というのはお笑い芸人の武器のひとつだ。しかも大きな声を出すという、意外と簡単に手に入れられるものなのだ。川北さんの雰囲気から声を張るのは違和感になるように思えるが、大声を出すのではなく、普通に出しているように見せて、音量を上げるという技を使うのだ。そうすると普通に喋っている感じだがお客さんの笑い声に負けなくなり、お客さんも気づかないうちに引き込まれていくことになる。これがひとつめ。

そしてもうひとつは、つっこみのガクさんの引き出しの少なさだ。彼は面白いというボケの時は決まって同じようなつっこみをしてしまう。少しまったりさせてしゃくるように声を出すつっこみ。ここぞというときにこのツッコミがあったら笑いは倍増すると思うが、終始このツッコミを見せてしまうとレア感がなくなってしまうどころか、少ししつこく感じてしまう可能性もある。

なのでせっかく編み出したその大事なツッコミはここぞというときに出して、ほかの部分はまたべつのツッコミが出来るようにするのだ。少しの変化に思えるが、今のボケのクオリティがあれば、その少しの変化で優勝が狙える。

6組目 オズワルド「友達が欲しい」

3年連続で決勝戦進出。ただ進出するのではなく、ネタに改良を重ねて、進化させ、そしてより面白さに磨きをかけて決勝へ進出。それだけに今年こそは、優勝をするのではないかと言われる、今大会の優勝候補だった。

ネタはオズワルドクオリティとでもいおうか、各所に「静と動」を配置し、前回までには無かった細やかな部分の進化を感じる。

まずはオズワルドならではの「静」でネタがスタートする。拍手が鳴りやむまで自己紹介すらしない。そして拍手が鳴りやむと漫才とは思えないほど普通の声でツッコミの伊藤さんが自己紹介をする。また拍手が鳴りやむとボケの畑中さんがフリをスタートさせる。登場してからここまで「静」。

ひとつめのボケまで「静」が続くがオズワルドは、漫才ならではのテクニック、マイクを使って音量を補い、お客さんの声が聞こえないというストレスをなくしている。基本がしっかりしているという証拠だ。そしてひとつ目のボケを繰り出した瞬間、ツッコミの伊藤さんがギアをトップ近くまで入れて大声でリアクションとツッコミ。ここでいきなり「動」が発動するのだ。そしてまたしばらく「静」が続く。

余談だが今回のオズワルドのネタで、伊藤さんの凄さを目の当たりにした部分があった。それはネタの序盤で、畑中さんがストーリーのメインとなっていくセリフ「今度きみの友達、俺にひとりくれないかな?」というセリフに対し、セリフにするのは難しい表現でリアクションをしたのだ。いうなれば「んん?」とうセリフなのだが、はっきりと「んん?」というわけではなく、本当に何とも言えないほど面白く、それしかないと思うくらい秀逸なひとことなのだ。こんなセリフで笑いが起きるなんて、ツッコミ冥利につきるだろう。

話しを戻そう。後半になるにつれ「静と動」は「動」にシフトチェンジしていき、オズワルドならではのボケとツッコミがニコイチになった笑いを爆発させていく。後半に「静」は見当たらない。つまりネタ自体を大きなくくりで見たときも、「静と動」になっているのだ。

オズワルドは合計点数665点を叩き出し、トップでファイナルステージへ進出。

ファイナルステージ「割り込みされたおじさんについて」

畑中さんがラーメン屋さんに並んでいる時に、割り込みされたおじさんをどうすべきかというネタなんだが、あきらかにファーストステージの方がネタのクオリティが高かった。もちろんネタ自体はファーストステージと同様に「静と動」で作ってはいるのだが、ファーストステージはしゃべくり漫才、ファイナルステージは動きのある漫才となっており、少しジャンルが違う漫才になってしまった。

オズワルドの真骨頂は「東京しゃべくり漫才」。ほとんど動くことなくボケとツッコミを展開していくのが一番似合っているのだが、なぜかファイナルステージは少し動きを入れてしまった。残念ながら、決勝の相手は【錦鯉】と【インディアンス】。どちらも動きを得意とする漫才師だ。動かずしゃべくりだけで戦うことを選択したら、まだ勝機はあったかもしれない。

派手な漫才との戦いに、自分たちも派手にしようと思った結果なのだろうか。

7組目 ロングコートダディ「生まれ変わってワニになりたい」

このコンビにはコントのイメージがあったので、どんな漫才をやるのだろうと思っていたら、やはり漫才コントだった。ただこの漫才コントは漫才師のやる漫才コントとはボケの使い方が違っていた。

ひとつ目は一般的な漫才師だと「生まれ変わってワニになりたい」という部分をボケとして使う。つまりワニになって何がしたいとか、ワニになったらこういう不自由があるとかにスポットを当てると思うのだが、このコンビにおいてワニはあくまでもなりたいものでありボケではないのだ。

しかもネタがどういう風に展開していくかというと「ワニに生まれ変わりたいのはいいけど、生まれ変わるのはそんなに簡単じゃ無いから練習しよう」という部分で展開してく。「生まれ変わったらワニになりたい」というスタートのセリフから「生まれ変わる為の練習をしよう」と展開するなんて、思いもよらなかった。

さらに一般的な漫才師と違うところは、普通ならひとつのボケとして使われそうなボケをいつの間にかメインのボケとしてしまうところだ。このネタでいうところの「お前は(生まれ変わったら)肉うどんです」というボケ。これは一般的な漫才師なら、ひとつのボケで「いやだよ!」と一蹴して終わりそうなものだが、2人はこのボケを押し進め実際に肉うどんとしての天寿を全うしてきて、もう一度生まれ変わる為の順番待ちをするというところまで発展させる。

このような展開になると最初の「ワニ」である理由なんていらないんじゃないかと思いがちだが、後半ワニを活かしたボケがきちんと入ってくるあたりがなんとも憎い。

ここまでネタとしての完成度が高いのに、なぜそこまで評価されなかったのか……。それはこの大会がM-1グランプリという漫才の大会であったということだ。ロングコートダディのネタは最初のフリ以外、ほぼコントであり、漫才コントではなく”漫才のようなコント”だったのだ。そこを見逃さなかった審査員からの点数が伸びずファイナルステージ進出には至らなかった。

オール巨人師匠や松本さんも言っていたが、漫才というのは舞台を歩かずとも足踏みをするだけで自分の居場所を変えられるものなのだ。だからコントのように舞台を広く使うのではなく、あくまでセンターマイクの前でこのネタが出来ていたらもっと上にいけたはずだ。

8組目 錦鯉「合コンに行くための練習」

M-1グランプリ2021のチャンピオンに輝いた錦鯉だ。前年度の決勝進出以来、テレビで見る機会が増え、決勝進出したほかの芸人よりメジャー感がある分、漫才にも余裕が感じられた。

ネタ自体はいつもどおり長谷川さんの「こんにちは~」でスタートし、会場を錦鯉の空気に変えていく。ただいつも思うのはツッコミの渡辺さんが少しだけスカした感じが強いので、あとちょっとだけ声量を上げ、いい男感を抑えたほうがより笑いが起きやすいように思う。

ネタのテーマは長谷川さんが後輩と合コンに行くからおかしくないか練習をするというもの。昔からあるスタイルで、合コンが流行った時期にすべての芸人が手を出したような古い題材だ。

前回松本さんにパチンコがわからないと言われたので、誰にでもわかる合コンにしたと言っていたが、逆にこれだけ芸人にやられているネタはプラスなのだろうか。どこかで見たようなボケが多く、錦鯉の長谷川さんのキャラに合っていることで笑いは起きていたが、果たして錦鯉では無い芸人がやったとしたらファイナルステージへ進出しただろうか?

それでも後半は力技で笑いを畳みかけていたのでもちろん面白かったし、ほかの芸人と比べても頭一つ抜けているように見えて安定のファイナルステージだった。

ファイナルステージのネタは「町中に逃げたサルを捕まえたい」

ファーストステージはとてもベタなネタだったが、ファイナルステージのネタは錦鯉にしかできないであろう素晴らしいネタだった。意外とスタートダッシュが苦手な錦鯉だが、このネタは比較的早めに笑いが起きており、特筆すべき点は2つ。

ひとつはサルを捕まえるために自分で置いたバナナを取りに行って捕まってしまうというボケ。これはそのままではそこそこしか受けていなかったが、なんと同じボケをほぼ同じように3回連続でしたのだ。さすがに3回目を見たときにはそのしつこさとくだらなさから思わず笑ってしまった。笑わせたもん勝ちのお笑い界、錦鯉の勝ちである。

そしてもうひとつ、家の中にいたお爺さんをサルと間違えてしまい乱暴に投げ捨てた長谷川さんに対して、渡辺さんが「お年寄りにはこうやってやさしくしろよ」とお爺さんを寝かせるパントマイムをしながらつっこむ。それがただのツッコミではなく、最後の最後に渡辺さんが長谷川さんを舞台に優しく寝かせるという、伏線回収ボケにもなっているのだ。これは長谷川さんが50歳という年齢もあり、より面白く感じる。

ファイナルステージで大声を出し、44歳と50歳の2人が汗だくになりながら思い切りふざけ、そしてお客さんが大笑いする。お笑い本来のくだらなさを見せつけられたら、審査員は錦鯉に票を入れるしかないだろう。

9組目 インディアンス「心霊系の動画を撮ってみたい」

ツッコミをしている人間で、このコンビが羨ましいと思う人は多いのではないだろうか。なぜならボケの田渕さんのように、次から次へとマシンガンのようにボケてくれる相方がいたら、楽しくて仕方がないはずだ。少なくとも元ツッコミの僕は、一度でいいから漫才をしてみたいと思った。

3年連続で決勝進出をしているインディアンスだが、僕が初めてネタをちゃんと見たのも3年前のM-1グランプリで、その時の印象は「あっ、このボケの子はすでに完成している」というものだった。しかしそれは間違っていた。田渕さんはこの3年間でさらにパワーアップしている。

マシンガンのようなボケは変わらないが、ボケの質、ボケの間、天丼、かぶせ等、あきらかに前年度よりクオリティが上がっている。それに対してツッコミのきむさんだが、審査員の皆さんはきむさんの成長によりインディアンスはさらに、良くなっていると絶賛していた。

漫才というのはボケよりツッコミが大事で、ツッコミ次第でどうにでもなるもの。僕もこの1年でかなりきむさんは成長したと思った。

ここからは憶測でしかないが、まず大ボケの後のツッコミをアドリブでつっこまなくなった。きちんとセリフを決めてツッコミ、そのあとの小ボケに対してもほとんどアドリブではつっこんでいないだろう。昨年思っていた彼の弱点はアドリブでボケられたときに、どうしても笑いながらつっこんでしまうというところだった。この笑いは面白いからではなく、アドリブでつっこむ事へ恥ずかしさや自信の無さから出る笑いだった。なので全体的にふわっとしたツッコミになっていた。それが今年はまったくと言っていいほど無くなっていたのだ。とてもネタが見やすくなった。

マシンガンのようなボケに対して、マシンガンのようなツッコミはいらない。ただ要点をつくツッコミと喋りを封じようとするツッコミがあれば、ボケは負けじとボケていくように見えるが、お客さんから見るとアドリブで暴走しているように見えて、つっこみが困る姿で笑いが倍増していくのだ。

ただ成長したきむさんだが、まだ足りない部分がある。

それはネタのスタートのフリの部分だ。「最近趣味が出来た」「心霊動画を見る」など、こういうセリフはお客さんへいうセリフで、相方へいうセリフではない。フリのセリフを相方にいってしまうと2人だけの世界になってしまい、お客さんが入り込みづらいのだ。さらに田渕さんのように人の話を話半分しか聞いてないようなキャラクターに話すのは、お互いのキャラが死んでしまう。それなので、フリの部分は頑張って田渕さんを無視してでもお客さんにいうべきなのだ。

ナイツの塙さんが絶賛したように、漫才の上手さは今大会ピカイチ。順当にファイナルステージへ進出した

ファイナルステージのネタは「売れて忙しくなりたい」

これもファーストステージ同様、きむさんのストーリーに田渕さんがマシンガンボケで邪魔していくというスタイルだが、2つのネタで若干の違いがあった。それはファーストステージの肝試し的なネタはある程度の展開をお客さんが予想できる。ファイナルステージの忙しくなりたいは展開が予想しづらいという点だ。展開を予想できる方が、どれだけ邪魔されようが、早口で次の展開に進もうが追いつけるのだ。なのでずっとストーリーに集中できるのだが、予想しづらい方は置いていかれたらそのままになってしまうのだ。なのでベタでもいいからストーリーが予想できるネタであったら、最終的な投票が少し変わったかもしれない。

10組目 もも「なんでやねん!お前○○顔やろ」

お互いの見た目をいじりながらそれだけで漫才を進めていくスタイル。

結成4年目という事もあり、登場して数十秒は緊張感に包まれていたが、笑いが起きるにつれて本人たちのリラックスし本来の力を発揮していったように見えた。しかも両ボケ、両ツッコミという今どきの形。声量もあって、お客さんの方を見る余裕もあり、漫才としてしっかりと形になっている。

これで結成4年かと驚愕した。

しかもネタ自体後半になるにつれてきちんと盛り上がり、ピークを最後に持ってくるようにしているなど僕が若手の頃には考えられないテクニックを持っている。

僕たちが若手芸人をしていた20年以上前は、テレビで若手芸人が漫才をやっている姿を見ることが少なく、ほとんどの若手芸人が、どうやったら漫才を形にできるのか試行錯誤していた。今は逆に漫才を見る機会が増え、若手芸人の漫才の面白さの平均値は確実に、当時より上がっている。ある程度面白い漫才が出来ることが当たり前になっている今、6000組の強豪を抑えて決勝に来るというのはもはや天才といっても過言では無い。

ただ惜しいのはまもる。さんとせめる。さんを比べたときに声量のバランスが悪い事だ。

後半波に乗ってきてからの声量は2人とも同じくらいなのだが、前半の盛り上がり前の声量は、圧倒的にせめる。さんの方が大きいのだ。そうなるとまもる。さんのセリフが耳に入ってこなくなる可能性が高い。大きい声が出ないわけでは無いと思うので、なるべく声量を同じくらい大きくなるよう意識したほうが良い。特に合いの手とか大事じゃないセリフを意識するように。

それとひとつめの笑いまでが異常に長い。「○○顔やろ!」までひとつの笑いも無かったように思える。大阪弁なので聞けないことは無いが、どうせなら笑いが欲しい。両ボケ、両ツッコミなので、その辺りも活かし、メインのボケに行く前に、両ボケ、両ツッコミというのをわからせる笑いがあると、もっと早めに大きな笑いに繋がるのではないだろうか。

まだ4年目。あと11年も出場するチャンスがあるのだ。頑張ってほしい。

今回のM-1グランプリ2021は、芸人の若返りをはかっているように思えた。

そのせいか、どうしても似たような笑い、似たようなツッコミ、似たようなテンポの芸人が揃ってしまい、結局は経験値があり、スタイルが違う3組がファイナルステージへ進出したのではないだろうか。

芸人の若返りなど意味がない。それを50歳の芸人が証明してくれた。

僕は本来結成15年以内というくくりすら、いらないのでは無いかと思っている。16年目、17年目の芸人でも常に進化し、新しい笑いに挑戦しているからだ。しかし結成15年以内というのが変わらないのならば、次回は若返りをはかるより、スタイル、ボケ、手法などがバラバラな10組で決勝を争う姿が見てみたい。

漫才にはまだ楽しめる可能性があり、進化する余白があると証明してほしい。

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